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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

加瀬 邦彦(かせくにひこ)

ミュージシャン・作曲家・音楽プロデューサー

加瀬邦彦
1941(昭和16年)
~2015(平成27年)

ザ・ワイルドワンズのリーダー ヒット曲 想い出の渚
東京府(現東京都)生まれ。1957年11月、慶應義塾高等学校1年生の時、東京都から茅ヶ崎市に移住したが、これが縁で同年12月23日にアメフト部の先輩の紹介により俳優上原謙のクリスマス・パーティーに誘われ、当時慶應義塾大学2年生だった加山雄三に出会い、音楽面のみならずプライベートでも親交を深めるようになる。

1961年、慶應義塾大学時代、「ザ・トップビーツ」を結成する。その後ホリプロに所属し、かまやつひろしらと「キャノンボール」を結成。1963年には事務所命令により、かまやつひろしと共にザ・スパイダースに加入するが、約3カ月で脱退し、1966年まで寺内タケシとブルージーンズ(1965年の東宝映画『海の若大将』や1966年の東宝映画『クレージーだよ奇想天外』などでその姿を窺える)に加入した。同年7月に、加山雄三が名付け親となる、グループサウンズのザ・ワイルドワンズを結成(この時、渡辺プロに移籍)。「想い出の渚」等ヒット曲を連発する。得意の12弦ギター(ヤマハ特注)は、ワンズサウンドの要となる。解散後は、作曲家としてだけでなく、沢田研二のプロデューサーとなるなど功績は多岐にわたる。

1981年1月、日本劇場取り壊しに伴う最後の日劇ウエスタンカーニバルにザ・ワイルドワンズ(加瀬、鳥塚茂樹、島英二、植田芳暁、渡辺茂樹)のメンバー5名が集結して出演したことを契機として、ザ・ワイルドワンズの再結成話が持ち上がり、仕事の都合で参加を辞退した渡辺を除くメンバー(加瀬、鳥塚、島、植田)4名でザ・ワイルドワンズを再結成した。“ケネディハウス銀座”のオーナーや、加山雄三&ハイパーランチャーズのプロデューサーとしても活躍した。

2006年、茅ヶ崎商工会議所の60周年事業として、ワイルドワンズの一員として茅ヶ崎市民文化会館で公演を行った。

過去に加瀬が経営するライブハウス「ケネディハウス銀座」に、加瀬が加山雄三に出演のオファーをしたが、その際ギャラの問題になった。加山が「友人のライブハウスだからギャラは要らない」と固辞したのに対して、「どうしても」と懇願する加瀬。いつまでも埒があかないので、加山が条件として突き付けたのが「じゃあギャラはビールと焼き鳥!」というもので、それからノーギャラで毎月出演している。
2015年4月20日午後9時、自宅にて自殺を図り、死亡した。74歳没。仕事の都合で葬儀に参列できなかった加山雄三は音声メッセージで加瀬を哀悼した。同年、第57回日本レコード大賞・特別功労賞が贈られた。

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