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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

平尾 昌晃(ひらおまさあき)

作曲家 歌手

平尾昌晃
1937(昭和12年)
~2017(平成29年)

東京市の牛込(現東京都新宿区)生まれであるが、戦後、茅ヶ崎に移住し、湘南学園で小中学時代を送る。茅ヶ崎市に住み、ジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山らと知り合う。慶應義塾高等学校中退後、ウエスタンの人気バンド『チャック・ワゴン・ボーイズ』に入る。1958年、キングレコードより「リトル・ダーリン」でソロ・デビュー。その後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎と「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な人気を博す。この年、オリジナルナンバーである「星は何でも知っている」1960年には「ミヨチャン」を発表し、2曲共に100万枚を売り上げる大ヒットとなった。

ポール・アンカが作詞・作曲した「好きなんだ! (I Love You)」は、日本での売上は10万枚程度に留まったが、ハワイでは地元ラジオ局が流したことをきっかけにリクエストランキングで1位を記録する大ヒットとなり、1959年12月、ハワイで開催された「アメリカン・ポップス大会」では、日本代表として歌唱した。

ロカビリーブームが去った後、1966年に平尾が作曲し、渡辺プロの新人歌手だった布施明がレコーディングした「霧の摩周湖」、梓みちよに提供した「渚のセニョリーナ」は、第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞。「霧の摩周湖」のエピソードとして、茅ケ崎にある平尾の家に布施を含むスタッフ全員が集まって会議を行い、そこで生まれたのが「霧の摩周湖」である。

1968年12月3日、結核を患い、長期間入院による療養を余儀なくされ、肋骨を6本取り除く大手術を受ける。1969年11月30日に退院。平尾自身は、この療養期間が作曲家としての活動の原点であることを事あるごとに語っている。

1970年代に入ると、ソフトな演歌から穏やかなポップス調まで様々な作風の曲を五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャン等に提供している。作詞家の山口洋子とのコンビは、この時代を代表するゴールデン・コンビとして知られている。
1972年、小柳ルミ子に提供した「瀬戸の花嫁」で第3回日本歌謡大賞受賞。1973年、五木ひろしに提供した「夜空」で第15回日本レコード大賞受賞。
1974年、「平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール=HMS)」を創立。歌手としては、生徒の一人である畑中葉子とデュオを組み、「カナダからの手紙」「ヨーロッパでさよなら」等のヒットを出した。2001年、モンブラン国際文化賞受賞。2002年、特定非営利活動法人「ラブ&ハーモニー基金」を設立。音楽を通じた福祉活動を展開している。2003年、紫綬褒章受章。2017年7月21日、肺炎のため東京都内の病院で死去。

茅ヶ崎出身の尾崎紀世彦にも「愛こそすべて」(東宝映画「エスパイ」主題歌)を提供している。

桑田佳祐は自身のラジオ番組で人生初めて見た有名人として、平尾とのエピソードを「茅ヶ崎の自宅の近くの大きな芝生の庭の一軒家から門が開いてピンク色のオープンカーが出てくる。迷惑だったろうけどよく見に行った。当時からハンサムで髪の毛の色が茶色かったのを良~く覚えている。」と語っている。

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