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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

永 六輔(えいろくすけ) (本名 永孝雄)

放送作家 随筆家 作詞家

永六輔
1933(昭和8年)
~2016(平成28年)

タレント等マルチに活躍した「上を向いて歩こう」の作詞者
自称ラジオ放送作家。角刈りと面長の顔がトレードマーク。
東京・浅草の最尊寺住職の息子として生を受ける。学童疎開により長野県へ移り、終戦後、長野県立上田中学校(旧制)から東京・早稲田中学校へ編入、ラジオに興味を持ち、渥美清(寅さん)らと共に、鉱石ラジオを作るグループを立ち上げる。
1952(昭和27年)、早稲田大学第二文学部へ入学。NHKのラジオ番組「日曜娯楽版」にネタを投稿するようになり、学校をさぼっては、国際劇場などを見続け、以降、放送作家・演出の活動を始める事となる。

以後、ラジオ・テレビの企画・演出やピアニストで作曲家の中村八大らと組んでの作詞活動、また、軽妙な語りのタレント活動など、幅広い活動をする。
日本政府のメートル法の施行で過度に排除された尺貫法の復権を志す運動や、佐渡島の独立運動など、ユニークな取り組みも多い。特に、作詞家活動としては、中村八大との名コンビにより第一回日本レコード大賞をとった「黒い花びら」や、1961(昭和36年)に坂本九が唄って大ヒットした「上を向いて歩こう」等次々とヒット曲を発表した。
作曲者・中村の第一子生誕をヒントに永が作詞した作品で、梓みちよが唄い、1963年第5回日本レコード大賞を受賞し、第14回NHK紅白歌合戦にも梓が本曲で初出場を果たし、翌1964年には第36回選抜高校野球大会の開会式入場行進曲に使用された「こんにちは赤ちゃん」は特記すべき歌である。

1977(昭和52年)革新自由連合の結成に参加し政治活動にも進出。1983年6月26日に行われた第13回参議院議員通常選挙に比例代表区から出馬したが落選。以降選挙への立候補からは撤退している。
2008(平成20年)の第45回ギャラクシー賞において、ギャラクシー賞45周年記念賞を受賞。自身はラジオパソナリティーのプロ意識が強く、5秒以内で完結する話術を自負し、ラジオ放送作家と自称する等、ラジオへのこだわりを持っていた。2010(平成22年)になってパーキンソン病を公表し、投薬治療を受けていた。パーキンソン病の影響で歩行困難になり、東京都内の自宅で転倒して大腿骨頸部を骨折し入院・手術をしたが、永の強い意志で仕事は極力休まず、ラジオのレギュラーは病室からのゲスト参加や収録という形式が採られた。以後、レギュラー2番組の放送・収録は病院からスタジオへ赴いた。2012(平成24年)に退院、リハビリは継続して行った。
2013年、毎日芸術賞特別賞を受賞。2016年6月27日の放送を以って「六輔七転八倒九十分」が終了し、全レギュラー番組を降板した。2016(平成28年)第58回日本レコード大賞の特別功労賞受賞。

母方の実家であろうか、茅ヶ崎市東海岸南に実家があり、セカンドハウス的に使用していて、茅ヶ崎の早朝草野球チーム「スネークス」のファーストで、馬入川の河川敷グランドで活躍していた。また、1982(昭和57年)には、小和田公民館にて、「辻説法」を行うなどユニークなゆかりの記録がある。2016年7月7日満83歳で没。

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