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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

上原 謙(うえはらけん)

加山雄三の父 日本映画界を代表する二枚目スター

上原謙
1909(明治42年)
~1991年(平成3年)

壇の浦の戦いに敗れ、鹿児島に安住の地を求めた平家一族が上原謙の祖先である。本名は池端清亮(きよあき)。
父は池端清武(きよたけ)。代々平清盛の清の一文字を継いでいる。池端家は鹿児島で800年引き継がれている由緒ある家柄である。江戸時代には薩摩藩島津家の士族であり、江戸末期の安政時代には徳川第13代将軍家定の正妻となる篤姫の世話役を務めていたことが推察されるような役まわりであった。

父親である池端清武は東京で軍隊に士官。そこで上原謙が生まれた。後年、池端家本家の事情により、本家を継ぐのは清亮(きよあき、後の上原謙)しかいないという事で当時の親類である鹿児島市長等で東京に清亮を迎えに行き、話がまとまった。しかし、帰路、鹿児島へ一同が汽車で向かった途中、広島にさしかかったところで激しい雨により線路が流され、深夜2時に列車が脱線転覆して大参事となってしまった。鹿児島市長他死亡者が出たりして、もはや池端本家を継ぐ必要もなくなった。幸いにして無傷の清亮(上原謙)は東京に戻り、ボーイスカウト音楽隊の指揮などをやっていたが、日本一の美少年と言われ評判だった。1929(昭和4年)に立教大学に進学。友人達が本人に無断で映画会社の募集に写真を送った、その様なエピソードがあって、1935年(昭和10年)に松竹に入社、同年上原謙という芸名でデビューし、二作目で主役に抜擢された。

撮影所で小桜葉子と運命的な出会いがあった。
小桜葉子は明治の元勲である岩倉具視(ともみ)の孫にあたる。岩倉具視は日本初の国葬となった人であり、昭和になって500円札の肖像にもなった人である。やがて二人は結婚し、長男が誕生した。この長男が加山雄三であり、岩倉具視のひ孫でもある。1939(昭和14年)に上原謙・小桜葉子夫妻は病気がちであった加山雄三の健康のために茅ヶ崎に転居して来た。その後上原謙は、今は無いパシフィックホテルの経営にあたり、茅ヶ崎ロータリークラブ会員となり、地元の人達と親交を深めた。そしてパシフィックホテルは茅ヶ崎のシンボルとなった。

出演作品
【映画】 異国の丘・影を慕いて・結婚行進曲・風立ちぬ・氷壁・大学の若大将・モスラ等多数
【テレビ】 NHK朝の連続テレビ小説「いちばん太鼓」・同じく「青春家族」・日本テレビ「忠臣蔵」等多数

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