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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

高座官衙遺跡(たかくらかんがいせき)

古代(7世紀~9世紀)の役所跡

国指定史跡
下寺尾官衙遺跡群
(しもてらおかんがいせきぐん)
高座官衙遺跡
古代の役所と附随する
施設群衙・寺・祭祀場・
川津(船着場)の全てが
発掘調査で確認
されている全国でも
極めて希少な史跡

古代の律令制によって茅ヶ崎市は相模国高座郡(たかくらぐん)の中心であったのであろう。相模国の国府は海老名・大磯・平塚説など有るが、時代とともに変遷したと考えられる。相模国は8郡に分かれていて、その中の一つが高座郡(たかくらぐん)である。範囲は綾瀬・海老名・相模原・座間・茅ヶ崎・藤沢であり。近代でも高座郡(こうざぐん)として残っていた。

日本の律令制は7世紀後半(飛鳥時代後期)から始まり、10世紀頃まで実施されていて、8世紀が最盛期とされている。646年孝徳天皇や中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)(後の天智天皇)・中臣鎌足(なかおみのかまたり)(後の藤原鎌足)らが進めた大化の改新は一種のクーデターであったが、後に日本の律令制度を前進させた。本格的に確立されたのは660年以降と言われており、全国的規模で行政区割りが形成されたのもこの時期である。高座官衙(たかくらかんが)が創設された頃の日本の国家体制が推量される時代背景である。ちなみに、中央集権国家体制の確立や17条憲法(日本最初の成文法)制定、そして、大陸文化を積極的に導入した聖徳太子の没年は622年であり、その直後であることが興味を一層かきたてる。

2002年、県立茅ヶ崎北陵高校のグラウンドの発掘調査によって、この遺跡が明らかになった。周辺の発掘調査によっても附随すると考えられる施設(寺・祭祀場・川津)が確認されている。グラウンドの南西部からは役人の執務室、正殿は周囲に回廊のような施設、後殿、脇殿と考えられる施設が確認されている。北部には税によって納められた米などを保管する高床式の倉庫(正倉院)が少なくとも4軒確認された。

古代官衙遺跡の他に、同じ区域から弥生時代や縄文時代の重要遺跡が確認されている重層遺跡である。縄文時代貝塚の上に弥生時代の環濠集落、その上に古代官衙遺跡群、さらにその上に中・近世活動跡が重層している。

※官衙とは律令国家体制化の官庁や役所のこと。地方の国を統治する国府、郡に設けられた群衙(ぐんが)などのことを言う。

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