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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

平塚 らいてう(ひらつからいてう)

”元始、女性は太陽であった”男女同権主義・平和運動のパイオニア

平塚らいてう
1886(明治19年)
~1971(昭和46年)

東京千代田区に生まれ、本名は平塚明(はる)1906年(明治39年)日本女子大学家政学部卒業。在学中には大同生命創立者の一人でNHK連続テレビ小説2015年「あさが来た」の主人公実名広岡浅子と出会っている。
平塚らいてうの父は、平塚定二郎。関ヶ原の戦いで戦死した西軍の武将平塚為広の末裔。母は光沢(つや)。徳川御三郷ひとつ田安家の奥医師飯塚家にゆかりの子孫。平塚らいてうの反骨精神の源流はこのような出自から来ているかも知れない。日本女子大学時代の広岡浅子の事を自身の自伝の中で「不愉快なこと印象に残っている人・・・」と記述していることは、この時からすでに通常の女性の持つ感性と違っていたのであろう。

1911(明治44年)「青鞜社」を設立し、女性文芸誌「青鞜」を刊行。その創刊号で「元始、女性は太陽であった」を発表した。女性保護論争に加わり、市川房枝らとともに新婦人協会を結成し、婦人参政権運動を起こした。戦後は主に反戦・平和運動に参加した。1918年頃、与謝野晶子と母性保護論争をまき起こした。平塚らいてうは「国家は母性を保護し、妊娠・出産・育児期の女性は国家によって保護されるべき」「女性と子供は公の財」「母性中心主義」などを唱えた。一方、与謝野晶子は「国家による母性保護」を否定した。それから約100年たった現在では、どうやら平塚らいてうが主張した社会に近くなっていることは、平塚らいてうに先見性が有ったのかも知れない。

「青鞜」創刊3年前には夏目漱石の弟子の一人、東京帝大出身の文学者森田草平と奇妙な恋愛をして塩原事件を起こした。その後、平塚らいてうの姉が茅ヶ崎市の南湖院で療養生活をしていたため、しばしば茅ヶ崎を訪れた。同じ南湖院に入院していた画家の奥村博と知り合い、夫婦別姓で事実婚をし、茅ヶ崎に部屋を借りて住んだ。「自分たちの愛のふるさと」と言うほど、思い出深い街となった。奥村博はらいてうより5歳若く、彼が後にらいてうに別れの手紙の中で、ツバメが飛んで来てまた別れて行くことに触れた。これが、女性よりも年下の恋人を”つばめ”と言う語源となった。
ともかく、時代の最先端を行く女性であった。

関連人物

  • 奥村博
  • 緒方洪庵
  • NHK朝ドラ「あさが来た」の中の平塚らいてうは元AKB女優大島優子・「とと姉ちゃん」の中の平塚らいてうは真野響子が演じた。

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