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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

尾崎 紀世彦(おざききよひこ)

日本レコード大賞歌手 「また逢う日まで」

尾崎紀世彦
1943(昭和18年)
~2012(平成24年)

東京都渋谷区に生まれ、父、尾崎繁(芸名:藤田繁)と兄、彰彦はクラシック・バレエのダンサー・演出家。母、礼子はショーダンサー。日劇ダンシングチームの一期生である。男三人兄弟の次男で、父方の祖父はイギリス人。1949(昭和24年)に茅ヶ崎市に引っ越す。平和学園に入学。その後、辻堂小学校へ転校。幼少の頃からラジオのFENでジャズやカントリー等に親しんでいた。13歳の時に父にウクレレを買って貰い、茅ヶ崎市立第一中学校時代、ヒロハワイアンズ結成。卒業後、YMCA国際ホテル学校へ進学する。1963(昭和38年)ジミー時田&マウンテン・プレイボーイズに加入。1967(昭和42年)ザ・ワンダース結成1970(昭和45年)デビュー盤「別れの夜明け」発売。
1971(昭和46年)「また逢う日まで」発売。茅ヶ崎ではワンマンショー開催。その年の日本歌謡大賞&放送音楽賞そして日本レコード大賞受賞。同年、第22回NHK紅白歌合戦に白組トップバッターとして初出場する。翌1972(昭和47年)、「ふたりは若かった」「こころの炎燃やしただけで」「あなたに賭ける」とヒットを重ね、この年の第44回選抜高等学校野球大会の入場曲にも「また逢う日まで」が選ばれた。また、「ゴッドファーザー〜愛のテーマ」のカバーで、紅白歌合戦に連続出場。1990(平成2年)にも第41回NHK紅白歌合戦に出場している。
また、「ゴッドファーザー〜愛のテーマ」のカバーで、紅白歌合戦に連続出場。1990年にも第41回NHK紅白歌合戦に出場している。1990年代より旧知の演奏家たちとジャズ、ハワイアン、カントリーライブのジョイントコンサートを定期的に公演する。

2012(平成24年)69才で肝臓癌のため東京都内の病院で死去。その年の日本レコード大賞、特別功労賞受賞。2013(平成25年)「大衆音楽の殿堂」に殿堂入りした。
趣味に、祭りの神輿担ぎがあり、浜降祭で神輿を担いでいた。ハワイ出身女性との最初の結婚では1男1女をもうけた。療養の際には、交流が続いていたハワイ在住家族の献身的な看病があったという。

桑田佳祐が尾崎について「茅ヶ崎の誇りですよ。憧れましたね。キーヨって言うんだよね、ツウは。えぇ。えー、ツウじゃないけど大好きでした。I LOVE YOU now & foreverですよ。ほんと尾崎紀世彦。あの人の真似もよくしたね。とにかく、茅ヶ崎からあーいう歌手が出るって嬉しくて。俺達は「また逢う日まで」よく真似しまして、あの尾崎さんがあのスタイルで、あの歌うたってくれたおかげで、俺達の音楽人生や青春はね、やっぱり輝いたと思いますよ。今年も、もうすぐあの尾崎さんが大好きだった浜降際っていうのがあってね、茅ヶ崎。うーん。御神輿担いで、あの人毎年担いでいたみたいなんだよ。うーん。俺あんまり担いだことないんだけど、情けない、茅ヶ崎人の俺は、ねぇ。ご冥福を改めてお祈りいたします。」と没後語っている。

代表作
「また逢う日まで」
「ふたりは若かった」
「こころの炎燃やしただけで」
「あなたに賭ける」
「さよならをもう一度」
「雪が降る」
「愛する人はひとり」

関連人物

  • 桑田佳祐
  • 鈴木治彦(尾崎の自宅隣に住んでいた元TBSアナウンサー)

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