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ホーム > まち・ひと・茅ヶ崎の煌き > 牧野 邦夫(しろやまさぶろう)

まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

牧野 邦夫(まきのくにお)

牧野 邦夫
1925(大正14年)
~1986年(昭和61年)

東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ。
1929年母を亡くし、小田原市で幼年期をすごす。小田原場内小学校入学。小田原教会へ通う。牧野家は旧小田原藩士の家柄で曾祖父作兵衛英清は12代目を継承している。

1935年父を亡くし姉に育てられた。
従兄の幻想小説家牧野信一から、「芸術家にだけはなるな」と諭されていたが、ゴッホやレンブラントに魅かれ17歳で画家を志す。川端画学校をへて東京美術学校油画科に学ぶ。伊原宇三郎、安井曾太郎に師事。写実的な人物画で知られるようになる。

1945年学徒出陣し九州宮崎で終戦。小田原に帰る途中被曝後数日の広島のまちを見た後にその体験と戦争のむごさを訴えた100号の大作「インパール」を1979年に完成させている。作家高木俊朗著「インパール」を読んで衝撃を受け描いたものである。

復員後小田原では部屋にこもり自画像ばかりを描きつづける。復活した美校に湘南電車で通学する。

1949年姉の輝子さん、英子さんが洋裁学校を開校したことに伴い茅ヶ崎に住む。
このマッコール洋裁学校は茅ヶ崎駅南口前にあり当時はファッションリーダー的存在だった。この卒業生が手芸店を開くなど、茅ヶ崎市の洋裁業界に大きな影響を与えた。
当時の洋裁学校の先生は、牧野邦夫氏が筆をぶら下げ草履であちこち歩き回り絵を描いてことをよく覚えている。一中の美術の先生や芸術家仲間がよく集まっていたそうだ。また、洋裁学校の先生としてスタイル画の描き方を教えてくれたと言う。

生前は抽象画の勢いが強い時代のうえ、美術団体に所属せず個展も開かなかったため実力の割に知名度は低かった。そんな折に「芸術新潮」で牧野の作品を知った黒柳徹子が牧野に自分の肖像画を依頼している。むしろ死後に個展やテレビ番組で知名度が上がるようになった。

1962年と65年の安井賞新人展に入選。
1970年マッコール洋裁学校が類焼にあい絵を失っている。その後、1983年アトリエを京都に移す。1986年がんにて死去。
児童文学作家牧野節子は姪。

「人間として生きんかな
誠実に生きんかな
我を生かすものは絵画也
酒にあらず、金にあらず
女にあらざる也」

牧野邦夫氏の日記より

牧野邦夫写真1
牧野邦夫写真2

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