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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

萬 鐵五郎(よろずてつごろう)

日本の洋画界の先駆者

萬鐵五郎
1885(明治18年)
~1927(昭和2年)

岩手県東和賀郡(現在の花巻市)の商家(回漕問屋)に生まれた。東京美術大学校(現東京芸術大学)を経てフォーヴィスム(野獣派)・キューヴィスム(立体派)を独自に習得。茅ヶ崎時代に次第に南画への傾斜を強め、油彩と並行して水墨画なども描いている。1909(明治42年)よ志と結婚した。1919(大正8年)病気療養のため、茅ヶ崎市に東京から転居した。弟(富次郎と泰一)が住んでいたのが茅ケ崎を選んだ理由である。

南湖八雲神社近く(天王山)に住まい、絵画に「茅ヶ崎風景」1924(大正13年東京国立近代美術館蔵)など多数ある。この時代の絵には茅ヶ崎の砂浜がうねるように広がっている。茅ヶ崎についての文章も多数あり、1920年代の茅ヶ崎を知ることが出来る。
関東大震災(1923大正12年)に自宅で遭遇し、「地震の印象」(1924油彩)を描いている。
また、長女が病床にあり(その後死去)、アトリエは長女に明け渡していて、「えぼし岩と水着姿」の最後の仕上げは、海岸へ持ち出して行ったそうである。
裕福な商家の出身で、岩手県で最初に自転車に乗ったのではないかといわれている。「桑畑と自転車」の作品もあり、自転車サイズのまち茅ヶ崎としてもつながりを感じる。(すぐ近所の酒井氏は「萬鐵五郎の思い出」として大きな木と自転車の絵を描いている)
茅ヶ崎ロータリークラブ、茅ヶ崎郷土会が1989(平成元年)八雲神社に萬の足跡を記した掲示板を立てた。

萬鐵五郎が書いた1920年代の浜降祭
家のもの達が朝暗いうちに起きるので、仕方なく一緒に起きて眠い目をこすりこすり皆と浜の砂山に出かけて行った。蟻が続いた様にという形容詞そのままに八方から人間が集まって来る。
太平洋の夜明けは実に雄大だ。浜下りと称して寒川さんのお神輿を中心にして、ワッショイワッショイとばかりにこの浜へ繰り込んでくる。これが又素晴らしく見事でもあり、同時に尊くともあれば有難くある訳なのである。
かつぐ人は申す迄も無く浜や村の若者。友禅やメリンスの赤い、青い腹巻に腕抜き、中には法被にも美しいのを着たのがいる。何しろお祭り気分は勇ましい。明朗だ。人間にお祭り気分は必要だなアと思った。展覧会だってお祭りだ。何しろこの浜下りは雄大にして荘厳なものだ。天に轟くばかりの掛け声と、引き手のぶつかる音で魂がひとりでに天に登りそうになって来る。
原典:中央美術 1925(大正14年)9月号

代表作品
「裸体美人」 重要文化財 東京国立近代美術館蔵
「雲のある自画像」 岩手県立美術館蔵

茅ヶ崎の作品
「暮れゆく海」 「富士」多数あり
「桑畑」 「桑畑と自転車」春陽会出品作(1923)
「夏の朝」「地震の印象」(1924)「浜辺風景」「湘南風景」「砂浜」多数あり
「水着姿」春陽会出品作(1926)「漁具の納屋」「漁村の朝」
「鳥居のある風景」「江ノ島をのぞむ海岸」

関連人物

  • 茅ヶ崎市ではないが岸田劉生
  • 高村光太郎 など

回遊スポット

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  • 大岡越前祭
  • アロハマーケット
  • 浜降祭
  • 花火大会

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