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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

添田 唖蝉坊(そえだあぜんぼう)

演歌師 シンガーソングライター 流行歌の元祖

添田唖蝉坊
1872(明治5年)
~1944(昭和19年)

神奈川県大磯生まれ。本名平吉。1890(明治23年)、壮士節(明治の自由民権運動の活動家の歌う街頭演歌)に影響を受ける。当時、自由民権派の演説会は明治新政府により弾圧を受けており、仕方なく街頭で演説に代わる演歌を歌い世に訴えたのである。「オッペケペ」で有名な川上音二郎らの壮士芝居も、この時代のものである。その後、唖蝉坊は、純粋な演歌を目指して、自身が演歌の歌詞を書いた。

1901(明治34年)茅ヶ崎出身の太田タケと結婚。翌年、息子知道誕生。茅ヶ崎に引越し、事業(ハンカチ工場)を始めるも半年で失敗。京、大阪など関西方面を旅し、世相を見る。1904(明治37年)日露戦争勃発。1905(明治38年)知り合いの流しの演歌師から頼まれ作った「ラッパ節」が大流行。「倒れし戦友抱き起こし 耳に口あて名を呼べば にっこり笑うて目に涙 万歳唱うも口の内 ♪トコトットット♪」夏目漱石の「吾輩は猫である」の文中に「…それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節(ラッパブシ)でも習った方が遥かにましだと…」と主人に向かって忠告しようとしたくだりがある。
 1906(明治39年)「あきらめ節」として「地主金持は我儘者(わがままもの)で 役人なんぞは威張る者 こんな浮世へ生まれて来たが 我身の不運とあきらめる」とうたった。この年、日本社会党の評議員になり、庶民のうっぷんや怒りを訴えた。
 1910(明治43年)「のんき節」で「貧乏でこそあれ 日本人はえらい それに第一 辛抱強い 天井知らずに 物価はあがっても 湯なり粥なり すすって生きている ♪ア ノンキだね♪」。民衆の生活に触れたものを歌にしたいと考え、1930(昭和5年)に引退するまでに182曲を残した。 路上シンガーソングライター、流行歌の元祖ともいわれている。
1910(明治43年)、妻のタケが27歳で死去、東京下谷山伏町(現台東区)に居を移した。浅草、浅草寺の弁天堂鐘楼下に添田唖蝉坊の碑が、添田知道筆塚と共にある。

サザンオールスターズの名付け親である宮地淳一は、「半漁半農の村だった茅ヶ崎の近代が始まるのは、1897(明治30年)、近代歌舞伎の祖、九代目市川團十郎が茅ヶ崎に別荘を構えたあたりから。新劇派の川上音二郎も1902(明治35年)高砂緑地に別荘を建て、肝胆相照らしたのか、川上音二郎は東京の家を畳んで妻の在所の茅ヶ崎に居を移していた、演歌師の唖蝉坊を訪ねています。」と語っている。東京・下町育ちの小沢昭一は大の唖蝉坊ファン。父親が鼻歌交じりで口ずさむのを耳にしながら育ち、庶民の声を代弁し、権力や権威、特権階級を風刺してやまない心意気にひかれたとの事。

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