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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

高田 畊安(たかたこうあん)

東洋一のサナトリウム南湖院(なんこいん)の開設者

高田畊安
1861(文久元年)
~1945(昭和20年)

京都府舞鶴市に藩士の子として生まれる。京都医学校の後、東京帝大医学部を卒業したのは1889(明治22年)28才のときである。E.ベルツの助手として帝大に残るが、肺結核にかかり辞職。全治後、1896(明治29年)、東京神田駿河台に東洋内科医院開設。1898(明治32年)38才の時、茅ヶ崎に結核サナトリウムを東洋内科医院分院として南湖院を設立し、生涯を結核治療に捧げた。開設当初は5,568坪でスタート、最盛期は昭和10年代、5万坪の敷地に200床強の診療に加えて、医学教育にも貢献し、東洋一のサナトリウムと言われた。入院料は、大学出の初任給が100円くらいの時、1日3円、1ヶ月入院すると100円位かかり、庶民には長く入院することは大きな負担であった。1945(昭和20年)日本海軍に全面接収され、南湖院は解散、同年に高田畊安自身も病死してしまったが、84歳の生涯を結核と戦った人であった。

新島襄に師事してキリスト教の洗礼を受け、1892(明治25年)勝海舟の孫にあたる疋田輝子と結婚。高田畊安は勝海舟の担当医でもあった。
1899(明治32年)には勝海舟の未亡人も南湖院に受け入れられた。
1908(明治41年)に国木田独歩が入院、病状が読売新聞に連載され、南湖院と別荘地茅ヶ崎の知名度を上げた。

結核  明治45年の統計で過去10年の平均で毎年7万3千人の死者。昭和18年に抗生物質ストレプトマイシンが発見され、劇的な進歩。それまでの治療法は自然治癒力を促進させる方法であった。

すなわち、栄養をとって、きれいな空気、ストレス減少、睡眠確保等々、海、松林などの良質な環境として茅ヶ崎は絶好の場所であった。南湖院を中心として茅ヶ崎市の文化的発展が促進されたことは大きな歴史的財産である。

入院した著名人
勝海舟婦人・国木田独歩(作家)・坪田譲治(児童文学)・小説家中里介山(大菩薩峠)・平塚らいてう(女権運動家のパイオニア)の姉(孝子)・前田夕暮(歌人)の長女・八木重吉(詩人)

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