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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

九代目 市川 團十郎(いちかわだんじゅうろう)

歌舞伎に対して偉大な業績を称えられ「劇聖」とうたわれた

九代目市川團十郎
1838(天保9年)
~1903(明治36年)

明治時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋。本名は堀越秀(ほりこしひでし)。五代目尾上菊五郎、初代市川左団次と共に、いわゆる「團菊左時代」を築いた。写真的な演出や史実にもとづいて歌舞伎の近代化をはかる一方、伝統的な江戸歌舞伎の荒事を整理して、今日まで伝わる多くの形を決定、日本を代表する高尚な芸術の域まで歌舞伎を高めることに尽力した。その功績から「劇聖」とうたわれた。

明治29年、現在の茅ヶ崎鉄砲道付近に土地を求めて別荘を建てた。孤松庵と名付け、敷地内には稽古場を備え、ここで次世代の歌舞伎界を担う若手を育成した。実直な性格だが釣りを唯一の趣味としていて、そのために茅ヶ崎を選んだともいわれている。釣りでも船中で背筋を伸ばして釣りをするなど、芸の修養としてみていた。「針ひとつ垂れるにも、端座しなければお前たちの姿勢を魚が侮るぜ。舞台に立つときも同じだ。踊るにも釣りをするにも、その姿がきちんとしていなければ、その芸も魚も君たちの心のままにならないよ。気をつけなさい」と説教した逸話がある。

趣味としては晩年、猟銃による鳥撃ちも加わったらしく、茅ヶ崎の別荘に預けられていた丑之助(六代目菊五郎)が團十郎の猟銃を勝手に持ち出し雁を仕留め、それがばれて大目玉をくらったというエピソードが残されている。

明治36年9月13日 茅ヶ崎の別荘孤松庵にて死去。葬儀は同じく茅ヶ崎に居を構えた新劇俳優の川上音二郎が一切を取り仕切り、茅ヶ崎駅から孤松庵までの経路を整備し、大磯に伊藤博文を訪ねて弔辞を依頼するなど、敬愛する九代目の葬儀準備に奔走、伊藤博文の弔辞も川上が代読した。
約1万9千平方メートルを超える広大な別荘孤松庵跡地は、地元茅ヶ崎では團十郎山と呼ばれ親しまれ、平和町交番の横の公園に石碑が立っている。

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