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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

源 頼朝(みなもとのよりとも)

「いい国つくろう鎌倉幕府」

源頼朝
1147年~1199年

初めて、武士による政権である鎌倉幕府を作った。
平治の乱で伊豆・蛭が小島に流されていた源頼朝が、1180(冶承4年)に平氏の打倒を目指して伊豆韮山で挙兵。全国を統一し、征夷大将軍となる。
妻は北条政子。弟は、弁慶を従えた源義経。

鎌倉より西側に位置する茅ヶ崎はその昔、懐島(ふところじま)と称され、また江戸時代には相模の国として東海道五十三次の浮世絵にも登場する、左富士の名所として知られた。この江戸時代のもっと前に、鎌倉時代の1198年、現在の相模川に大きな橋がかけられた。この時の橋であろうか、1923(大正12年)の関東大震災とその後の二度の大地震により、現在の小出川沿いの水田から、7本の橋脚(ヒノキの柱)が出現した。
源頼朝は、この橋の竣工式に出席した。帰りに、ある亡霊が現れ、これに驚いた頼朝の乗る馬が暴れて川に落ち、この時の怪我が原因で死亡したと言い伝えられている。
その後、この川は馬入川(相模川)と呼ばれるようになった。この亡霊が、源頼朝により非業の死を遂げた源義経と弁慶の霊であると言われている。

現在、源氏ゆかりの茅ヶ崎の総鎮守である鶴嶺八幡宮の参道入り口に大きな赤い鳥居がある。その場所は旧東海道(国道1号線)に面している。その鳥居横には弁慶の霊を鎮めるために里人が建てたと言われている弁慶塚が立っている。また、付近の南湖エリア北側の鳥井戸地区には、義経の霊を慰安すべく、御霊神社(ごりょうじんじゃ)が建立されている。また、同鶴嶺地区の龍前院には、この時の警護の武士10人が責任をとって自害したその墓が境内にある10基の五輪塔であると言われている。

頼朝は51歳で亡くなっているが、武家による政治を初めて成し遂げた将軍のあまりの突然の死は日本中を駆け巡ったに違いない。
現在、馬入川は茅ヶ崎の最西端を通っているが、江戸より昔は、現在の下町屋付近より、広い入り江となっていることが浮世絵からも想像できる。

関連人物

  • 源義経
  • 弁慶

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