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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

三橋 兄弟治(みつはしいとじ)

水彩画で新技法 水彩連盟初代理事長

三橋兄弟治
1911(明治44年)
~1996(平成8年)

6人兄弟の長男として高座郡茅ヶ崎町南湖に生まれる。
茅ヶ崎尋常高等小学校(現・茅ヶ崎小学校)4年生のときに描いた月見草の写生を担任教師に誉められたことをきっかけに絵を描く喜びにめざめた。
兄弟治は、恵泉幼稚園機関紙「めぐみ」に(1970年)寄稿の中で、画家をめざしたきっかけになった月見草のことを書いている。「それはもう50年前私が小学校4年生だった年の今頃だと思うが、受け持ちのM先生に月見草の写生をさせられたのだ。そのころ、茅ヶ崎の中海岸、東海岸あたりにはほとんど人家はなく、一面のムギ畑で、そのあぜ道にこの花はいくらでも咲いていた。この時に描いた月見草の絵が全校生徒に見える廊下の掲示板に張り出された。月見草をよく観察し、その花の立体感を表現しようとしたところに、もしかすると私が画家になるための素質の芽生えがあったと言えるのかも知れない。この時以来、いたずら小僧だった私は暇さえあれば絵を描き、それを無上の喜びとする少年に生まれ変わっていた。」

月見草は1960年代ごろまでは南湖でもあちこちにみられたが、夕暮れに黄色く灯るように咲く月見草の風情を今では楽しむことはできない。
兄弟治は1952年、殆ど水を使わずに堅い筆で絵具を紙にこすりつける水彩の新技法を案出した。具象から抽象画に入り、また具象に戻り、世界各地に旅行し、特にスペイン風景画を展開した。

芸術家を育てる
1930年1年間小学校教師、1947年成美学園講師、叔父の創設した私立茅ヶ崎厚生女学校(翌年公立新制中学)教師、市立鶴嶺中学、朝日カルチャセンター横浜の水彩画教室講師など、期間は長短あるが、教育者としても多くの教え子を育てている。その中には画家をめざした人も多くいて茅ヶ崎の美術界に少なからず影響を与えている。

社会活動への参加
「画家は画家であろうとするよりも、先ず詩人であり芸術家でなければならない」と唱える人で茅ヶ崎在住の川添隆行・牧野英一などとともに茅ヶ崎ペンクラブを創設。後に茅ヶ崎文化人クラブと改称。この代表をしていた時に中海岸にある野球場の一角に国木田独歩の碑を建立。その碑に国木田独歩像を描いている。茅ヶ崎文学、後の「湘南文学」を創刊し詩作を発表するなど文章も多数書いている。
エッセイ集「天才でなかったピカソ」 月刊誌「一枚の絵」の「水彩画」を担当執筆。
1988年水彩連盟初代理事長に選出される。

南湖のアトリエでオシャレな石炭ストーブをはさんで同じく画家である妻英子と並び絵を描いていた。近所の人に肖像画を頼まれれば気さくに応じ、地域に根差した画家でもある。南湖には彼の作品を展示しているお店もあり、毎年行われる地域のお祭り「南湖みんなでやんべぇよ・まちなか美術館」三橋兄弟治展を開催した際にはご家族の方にご協力いただいた。
池田20世紀美術館、茨城県近代美術館蔵、平塚市美術館、茅ヶ崎市美術館などに作品が所蔵されている。

関連イベント

  • 南湖みんなでやんべぇよ

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