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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

小山 敬三(こやまけいぞう)

気韻生動の画家 文化勲章受賞 名誉市民

小山敬三
1897(明治30年)
~1987(昭和62年)

茅ヶ崎市市民会館大ホールの大緞帳は「浜降祭」(55年完成)で、小山敬三が絵を描き織元にも出向き制作した。小山敬三は長野県小諸の出身である。母、梅路が喘息のため茅ヶ崎の南湖の別荘に療養のために来ていた。この別荘の地続きにアトリエを建て、フランス留学で知り合った妻のマリー・ルイーズと住んでいた。
別荘は和洋折衷で、玄関は日本風であるが、居間は椅子の生活で暖炉があった。アトリエは広く天井も高い。松林に囲まれたこの空間は南湖周辺とは違う雰囲気があり、神秘的で子どもたちの探検心をおおいにそそった。庭に侵入し叱られた経験がある子どもたちもいた。

茅ヶ崎への思い
小山敬三は海や松林が好きで、このまちについて次のように述べている。
「以前は、この辺一帯、藤沢鵠沼の海岸へかけて緑のジュウタンを敷きつめたといった松の林の別荘地帯であったのだ。ところが、終戦後たちまちのうちに林は切り払われ、雨後の筍の如く大小住宅が群生するに至ったので、わずかな我が家の松林が珍重される存在と、今ではなってしまったのだ。そして私たち自身も、朝夕清浄な気、静謐(せいひつ)な心を持ち常用樹林の幸を愛し楽しむものである。」芸術家の感性を刺激した茅ヶ崎の風景は海と松だったようだ。

茅ヶ崎での暮らし
門から玄関までの砂の道にはいつも熊手の掃き目がつけられていた。夫妻ともに散歩が好きでマリー・ルイーズは南湖周辺、御霊神社や浜見平をぐるっと回り、喫茶店で一休みすることが毎日の日課であった。散歩姿を見かけた人も多かったようである。
必要なものは東京から取り寄せていたが、魚好きの夫妻は地元の魚屋や養生館(肉屋)等の御用聞きを利用していた。

気韻生動
島崎藤村にフランス留学を勧められ、フランスではシャルル・ゲランに師事しデッサンの勉強に専念し、スペインでグレコの絵画を見て一大収穫を得た。絵を描く時は長時間アトリエに入り、鍵をかけ一筆に時間をかけ、まるで眠っているのかと思うようなこともあったようである。

茅ヶ崎北口純水館
茅ヶ崎初の大規模工場、製糸場純水館は長野県小諸の小山久左衛門の一族が、1917(大正6年)に茅ヶ崎駅北口で操業を開始した。最新式の機械を据え付けて、質の良い生糸を欧米に輸出した。工女は230名を数え、休日には停車場通り(現エメロード)が工女で賑わったという。養蚕農家は養蚕組合を組織して、当地で取れる約2万貫の繭の半分を特約取引によって純水館に販売していた。小山敬三の姉婿房全が経営にあたり茅ヶ崎商興会、茅ヶ崎信用組合の設立に関与した。小諸の小山敬三美術館に茅ヶ崎の自宅の一部が移設されて小山敬三記念館として公開されている。
純水館があったことは茅ヶ崎に長野出身の方が多い理由のひとつと思われる。小諸市文化会館大ホールの緞帳は小山敬三氏の「紅浅間」である。(1984年)
茅ヶ崎の海と長野の山、対照的な緞帳がふたつのまちをつないでいる。

年譜
1920(大正9年)23歳「南湖院遠望図」を島崎藤村に贈呈島崎藤村の勧めでフランス留学
1923(大正12年)26歳 マリー・ルイズ・ド・モントルイエと結婚
1928(昭和3年)30歳 フランスから帰国
1929(昭和4年)31歳 茅ヶ崎の南湖にアトリエを建てる
1975年(昭和50年)78歳 文化勲章を受章する

代表作品
浅間山連作
ダムシリーズ
白鷺城連作

関連人物

  • 小山房全(純水館代表)
  • 島崎藤村

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