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まち・ひと・茅ヶ崎の煌き

藤間家(とうまけ)

市指定史跡・国登録有形文化財の近世商家

藤間家
室町時代から続く旧家

藤間家の過去帳には「先祖の初代は1466年」とあり室町時代中期とある。藤間家は農業と廻船業を営んでおり田畑六反余、石高三石四斗三升余。室町時代から柳島湊を根拠地として相模湾周辺で廻船を運行していた。江戸時代には相模国一帯の年貢米を江戸に廻船する様になり、相模湾上流から下ってくる材木や薪炭を江戸に送り出している。帰りには塩、水油(椿油や菜種油)、〆粕(魚油をとった後の粕)等の生活必需品を持ち帰った。江戸はおろか、北は仙台、石巻、西は遠州灘、熊野灘から遠く瀬戸内海にまで活躍した。

徳川家康により柳島は戸田家(徳川家大名の一人)の知行地となり、繁栄と江戸幕府が崩壊する時期を戸田家と関わりながら明治を迎えた。江戸や京都で起きた遠いことと思っていたが、柳島にこの時代に関わった人がいたことに驚く。

この激動の時代に名主を務めたのが藤間家13代の藤間善五郎(柳庵)である。1801年相模の国高座郡柳島村の名主・12代藤間善左衛門と妻つるの長男として生まれた。
柳庵は20代から名主職を務めていたと思われる。1853年黒船が浦賀に入港した時には、柳庵はその3日後には浦賀に入っている。「年中公触録」や「太平年表録」にはペリー来航の実見記や幕府崩壊過程の経緯などの社会情報が記録されている。
また、文人としての評価も高く自身の漢詩文、俳諧、狂歌、言語研究などをまとめた「雨窓雑書」を著作している。藤間家に逗留した文人も多く、書家秦星池(はたせいち)もその一人である。
柳庵の揮毫した道票や石碑は茅ヶ崎市内やその近在に多数残っている。
柳島では観世音菩薩供養塔、湯治所の碑、河岸道道標、陸亀蒙(リクキモウ中国の詩人・農学者)「鄴宮(ぎょうきゅう)」詩碑、家訓碑、藤間柳庵墓石台石などを見ることができる。
藤間家をグルリと囲む棕櫚(シュロ)の木はこのあたりでも特異な風景である。
昭和7年建築の洋館は、設計者西村伊作氏の作風の一端を示す近代住宅で、国登録有形文化財(建造物)である。

広大な屋敷の一角に私設の「藤間資料館」がある。藤間雄蔵氏が研究、整理した。同家に伝わった家具・調度品を中心に、柳島湊(やなぎしまみなと)に関する古文書や道具類など多数保存されている。考古学的調査によりこれまで不明だった柳島、南湖など市南部地域の歴史草創期を解明する糸口になる遺跡であることも判明し、総合的な内容を有す史跡として高く評価されている。柳島には江戸時代から温泉が3か所もあった。藤間家の前にもあり藤間家の井戸が使われていたという。

「家はお客様が一番いい場所で生活スペースは北側。寒くて不便ですが主人はこれが一番良い事なのだと、変えようとしないんですよ。私達の代は守っていきます。」と当代御夫人は語っている。そしてこの文化財を永久に保存することを願って、2017年に貴重な藤間家住宅主家と美術・歴史資料とともに藤間家から茅ヶ崎市に寄贈された。

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